科学の教育について考える 7
過去においては、わたしたちは科学論的問いに対する権威ある解答を、もっぱら科学哲学者たちに頼っていました。
今やわたしたちは理科の学生を科学社会学者に引き渡して、さらに深くつっこんだ答を得させることによって理科生の教育を深めるべきであるように思われます。
STS教育の社会学的アプローチは、抽象、原理としてまったく正当です。
しかし実際にこれを実行するのは難しいでしょう。
未来の科学者、技術者が社会学的思考形態へ自然に傾むくなどと言うことは、彼らの哲学愛好と同じくらいありそうにもない話です。
科学社会学の用語、概念、研究結果は、哲学者のそれ同様に日常生活から遊離しているように思われます。
大学の先生たちには、物事の基本的な事柄を犠牲にして、学生たちを深遠な、まだ解決されていない難問、例えば、マートンの規範をどのくらい尊重すべきか、研究プログラムはどのくらい直接的に外部的力によって規制されているか・・・
見えない大学は相互引用のネットワークで定義できるかといった問題に引きずり込む逆らいがたい傾向があります。
実際、これらの論争のあるものは極めて込み入ったものであるため、価値負荷的であり、また最終的には解決不能であるため、これらは無邪気な学生を極めて馬鹿げた状態・・・
つまり科学的知識はすべて極めて相対的で疑わしい(他のどんな知識に対して相対的で、またいったい誰によって疑わしいとされるのでしょうか?)と言う考えに追い込んでしまいます。
この種の立場は、哲学的独我論や全面的懐疑主義と同様、形式的な議論によってくつがえされないという点では教育的であります。
しかし、一たび知的な真空へと展開されると、その馬鹿馬鹿しさや危険性は反対の立場を取る実証哲学者に劣りません。